当財団のロゴマークは、画家・装幀家・絵本作家の安野光雅氏に描いていただきました。
安野氏は生前の河合隼雄と交流が深く、多くの著書の装幀を手がけられています。
ロゴマークと河合隼雄について、週刊朝日2013年1月25日号の安野氏のエッセイ「逢えてよかった」で紹介されました。
当財団のロゴマークは、画家・装幀家・絵本作家の安野光雅氏に描いていただきました。
安野氏は生前の河合隼雄と交流が深く、多くの著書の装幀を手がけられています。
ロゴマークと河合隼雄について、週刊朝日2013年1月25日号の安野氏のエッセイ「逢えてよかった」で紹介されました。
新潮文庫から発刊されていた『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』
これは、タイトルの通り、作家の村上春樹さんが河合隼雄に会いに行っていろんなお話をした、その記録のような本です。
対談は1995年に行われましたが、まだまだ多くの方に読まれているようです。
このたび、この本の英訳本が出版されました。
世界でもその作品が読まれる村上春樹さんと河合隼雄の貴重な対談が世界の方に読んでいただけるようになりました。
8月16日、京都では五山の送り火が行われました。
昼間は真夏の太陽が照り、青空が見えていたのに夕方、雲行きが怪しくなってきて
ちょうど点火の時刻、20時頃には傘を差しても意味がないほどのざーざーぶり。
関係者の方々のご尽力で、無事点火はなされたようでしたが、東山のあたりはもやもやと霞がかかるばかりで何も見えません。
←この雨の向こうで東山如意ヶ嶽の「大」が燃えている(はず)
この写真でうっすらと明るいのは、おそらく松ヶ崎妙法の送り火(のはず)だと思うのですが、
警備の方に、場所を尋ねなければ火の場所さえも判別できないほどです。
しかし不思議なことに、せっかくこのときのために長い時間待っていたはずの多くの人たちの間には、それほど不満のようなものは感じられませんでした。
自然の力の手前、当然といえば当然かもしれませんが、なんとなく皆がこの非日常的な豪雨を受け入れているように思われたのです。
火がどこかわからないから、とごうごうと流れる鴨川に向かって手を合わせる女性、
火が燃えているはずの方向をただじっと見詰める夫婦、
送り火は見られなかったのに、なんだか楽しそうに帰って行く親子・・・。
隣の人の声も聞こえないほどの雨は、還りゆく魂たちの存在をむしろ強く感じさせるものだったのかもしれません。
河合隼雄が倒れたのは2006年8月16日の夜。
早、10年が経ちました。
この日は河合隼雄のもうひとつの命日なのです。
大の雨男であった河合隼雄が山の向こうに帰っていくのを、ただただ、雨に濡れながらお見送りしたような
圧倒的な夏の夜でした。
この一年、どうかまた私たちのことを見守ってくれますように。
河合隼雄の言葉、本人はそのつもりがなかったと思いますが、「名言」化しているものが
結構あるようです。
財団でツイッターを始めてみて、一番びっくりしたのはそのことでした。
おそらく、ざっと見ただけでも有意に多くつぶやかれているであろうと思われる言葉が
「最近の人はみんな何かしなければと思いすぎる」というものです。
※特定非営利活動法人 文化創造 および それに付随する河合隼雄公式サイトはこちらのサイトに統合・移転いたしました。