2021年7月2日(金)、梅雨と初夏の入り交じるこの日に、第九回河合隼雄物語賞・学芸賞授賞式がホテルオークラ京都で開催されました。現在の社会状況を鑑み、感染対策に配慮しながら限られた関係者のみでの開催となりました。京都での参加が叶わなかった選考委員は、オンライン会議を通じて授賞式の様子を見守りました。

 

 まずは、「今回、授賞式を開催できるかが心配でしたが、こういう形で開催できることを本当に嬉しく思います。」との代表理事・河合俊雄の開会の挨拶から。「この1年を振り返ると、安野光雅さん、河合雅雄、それから立花隆さんなど、河合隼雄と親しかった人が多く亡くなりました。」と、河合隼雄ゆかりの方々の逝去を悼みました。

 

 続いて、音楽に親しんだ河合隼雄を偲んで、恒例のミニコンサートが始まりました。ヴァイオリン奏者の豊嶋泰嗣さん、ピアノ奏者の太田糸音さんによるブラームス作曲〈ヴァイオリンソナタ第2番イ長調 op.100〉の演奏です。逞しさのなかにおおらかな希望が感じられる旋律は、この時世に粛々と続いていく日常を称えているようにも思われました。

 

さて、いよいよ、物語賞と学芸賞それぞれのセレモニーです。

 

 今回、物語賞を授賞されたのは寺地はるなさんの『水を縫う』です。

 

 選考委員の小川洋子さんから、正賞の日の丸盆と副賞が授与された後、講評をお話いただきました。

 「今回、私は選考委員の後藤正治さんと一緒に物語賞を選考させていただきました。授賞作の『水を縫う』は、ちょっと不思議な小説で、一度読んではじめからガツンとわかるというのではなく、後藤さんといろいろ話すあいだに少しずつ理解が深まっていく、タイトルの「水」のように少しずつ小説の中にある大事なものが自分に染み込んでいく、そういう作品だったと思います。

 

 早とちりな人は、この小説をある平凡な家族の成長の物語とくくるかもしれませんが、実は、この小説は「じゃあ平凡とは何か」ということを突きつけてくる作品なんですね。世の中に平凡な家族や人なんていないじゃないか、という実は恐ろしいことを表現している。」

 

 授賞作『水を縫う』は、シングルマザーと2人の子どもたちを取り巻く様々な葛藤と成長を描いた小説です。

 

 「長男の高校生は、縫い物、特に刺繍が好き。だけど、自分のそういう思いを同級生は理解してくれないだろうと決めつけて、自分を開放できないでいるような男の子。お姉さんの方は、学習塾に勤めていて、可愛らしい服が大嫌い。ところが、このお姉さんが結婚を控えていて、どんなウェディングドレスを着るかということが大問題になってきます。自分にとって一番相応しいドレスはどういうものか、を考えることは、彼女にとって自分とは何かを考えることに繋がっていく。お母さんは、仕事と子育てで毎日忙しいばかり、子どもの心配を先回りして、子どもが失敗する権利を奪ってきたのではないかという悩みを抱えている。

 その他、それぞれの登場人物が色んな困難を抱えているんですけれど、それをどうにかお互いに協力しあいながら、自分の足元にその難しさを置いて、それを土台にして自分の力で立ち上がろうとしている。それを非常に爽やかな筆致で書いておられます。この作品を読んで私は、喧嘩したり傷ついたりしても、やっぱり家族を作るというのは良いことだという風に思わせてもらいました。物語賞は、去年は授賞作がありませんでしたので、今年はその分二倍嬉しいような気がします。」

 

 なお、選考委員の後藤正治さんの選評は、『新潮』8月号の誌面でお読みいただけます。

 

 小川さんからの講評の後、寺地はるなさんから受賞のお言葉を頂戴しました。

 「この度は、本当にありがとうございます。私は、この物語をラベルについての物語だと思って書きました。ラベルというのは、性別とか年齢とか職業とか人間をわかりやすく分類するためのラベルのようなものだと思っています。ラベルの説明書きを読めば、相手のことをなんとなくわかったような気になってしまう。

 

 でも、物語というのは、本当はそういったラベルの説明書きでは書けないような、繊細な事柄を語るためにあるのではないかと思っています。わかりやすいものにはとても大きな力があります。時々それに引き摺られそうになりますが、なんとかそれに抵抗していきたいです。そういうものを書いていきたいです。」

 

 司会の河合成雄は、「ラベルを超えたもの」とはまさに河合隼雄の系譜でもある、とコメント。

 

 

 続いて、学芸賞の授賞セレモニーが行われました。今回、学芸賞を授賞されたのは、石山徳子さんの『〈犠牲区域〉のアメリカ──核開発と先住民族』です。

 

 選考委員の山極寿一さんから、正賞と副賞が手渡されました。山極さんの選評は、同じく『新潮』8月号に掲載されています。

 今回、生憎会場での参加は叶いませんでしたが、選考委員の中沢新一さんが、ビデオメッセージにて講評を寄せてくださいました。

 

 「授賞作は、アメリカ合衆国が推し進めてきた核開発と先住民族の関係を扱い、シリアスで深く、大きな問題提起を行っている本です。先住民が聖地としてきた場所、そこでウラン鉱脈や重金属が発見され、近代科学技術が入って行くことで、聖地全体を開発地域に変えていく。こういう実例を、僕はチベットや中国の奥地など様々な場所で見てきましたが、それが最も激しい問題を引き起こしているのが、実はアメリカ合衆国なんですね。

 

 アメリカ合衆国は、ヨーロッパからの移民が作り上げた国家です。しかし、そこには元々アメリカ先住民と呼ばれる人々が住んでいました。アメリカ先住民は独特の文明を築き上げていて、その文明の本質は、力で世界を変えていくヨーロッパ文明とは違い、優しい非暴力的な文明でした。この2つの文明が、アメリカの開拓史の中で激突しています。アメリカ合衆国に渡った白人たちは、いわゆる「セトラー・コロニアリズム」、定着して移住を進めていくというやり方を取ることによって、先住民の世界を周辺に追い込み、その存在を次第に見えないようなものに作り変えていったわけです。」

 

 授賞作『〈犠牲区域〉のアメリカ』を貫くキーワードである「セトラー・コロニアリズム」の概念に触れながら、中沢さんのお話は続きます。

 

 「そのなかでも石山さんが取り上げているのは、アメリカの核開発の重要な拠点となっている場所が、アメリカ先住民の生活拠点であり、宗教の聖地にもなっている、そういう場所です。その現状を、石山さんは全力で覆そうとしています。(…)

 

 先住民の重要な生活拠点が、核開発のための工場や原子力発電所のある場所に作り変えられている、それによって先住民の独自の生活形態が不可能になっている。そうして、一つの文明というものが消されていく。そういう過程が起こったということを、この本は切々と正確なデータに基づいて明らかにしようとします。」

 そのうえで中沢さんが口にしたのは、「どうしてこの本が河合隼雄学芸賞を受賞することになったのか」という問いであり、アメリカ先住民をめぐる問題と河合隼雄との深い繋がりにまつわるお話でした。

 

 「アメリカ先住民の問題というのは、河合隼雄先生にとってとても重要な領域を成していました。河合先生の先生にあたるカール・グスタフ・ユングは、アメリカ先住民の文化のなかに、西洋文明が抑圧し、破壊しようとしてきた一つの大きな文明圏があったということをはっきり認識していた数少ない研究者の一人でした。ユングは先住民との接触を試み、そこで様々な神話に出会ったり、儀式についての知識を得たりしました。

 

 このユングの体験は、河合先生に大きな影響を与えていたと思います。いつか自分も先住民の世界へ出かけて、神話や昔話、イニシエーションなどの儀礼をその目で見てみたいという願望を強く持っていました。そして、だいぶお年を召していましたけれども、ナバホ族やホピ族の世界へ旅をしました。その体験は先生に深い印象を与えたようで、戻ってきてからは、先住民が伝えている世界がこれからの人類にとって重要な価値を持っていることを、折りに触れ語っておられました。

 

 さらに、もっと深刻な顔をされて、先住民の世界がアメリカのなかでいかに無視されているか、そしてその生活が圧迫されているか、ということについて大変暗い顔をして話してもいらっしゃいました。その話題のなかに、ナバホ族の居留地の近くにある核施設についての話が出てきました。アメリカの核開発の犠牲になってきたのは先住民なんだということを、河合先生ははっきり認識していました。ですから、石山さんのこの本が河合先生の名前を冠した賞を受賞したことは、河合先生にとっても印象深く喜ばしいことであると僕には思われます。」

 

 最後に、授賞作が描き出すセトラー・コロニアリズムの構造が、現代の様々な土地に共通する問題であると指摘。

 

 「セトラー・コロニアリズムは、パレスチナを含め、今、様々なところで大きな問題を生み出しています。その問題の最先端がアメリカ先住民との関係に集約されています。石山さんの研究は、これからの人類にとって重大な問題を孕んでいるように思われます。この領域での研究をさらに拡大して、日本人が抱えているセトラー・コロニアリズムの問題などにも拡大することで、私達の世界を解読する手がかりを与えてくれるものになると思っています。」

 

 中沢さんからの講評の後、石山徳子さんから受賞のお言葉を頂戴しました。

 「この度は、河合隼雄学芸賞という身に余る賞をいただきありがとうございます。先日の授賞作発表で山極先生が、著者が当事者に直接会ってみると始めに考えていたものとは全く逆の話が出てきて、これに葛藤する様子がよく伝わってくる、とおっしゃってくださいました。私はこれを聞いて本当に嬉しかったです。なぜならば、私にとっての現地調査は、こうした驚きや学び、葛藤の連続だったからです。

 

 そして、今、初めてのフィールドワークで、砂漠地帯で核廃棄物の中間貯蔵施設を受け入れようとしていたゴシュート族の決断について調査していたときのことを反芻しています。貧困に苦しむゴシュート族は、助成金と雇用機会などを求めて誘致を行いました。その決断は、先住民の伝統に反しているとか、部族政府の腐敗だといった批判が様々なところから挙がりました。ゴシュート族のリーダーは、生き延びることこそが自分たちの伝統だと反論しました。

 

 ある時、地元の歴史家から、居留地の近くに住んでいるカウボーイを訪ねるように、とアドバイスをいただきました。子供向けのゲームにもあるカウボーイとインディアンというのは、西部開拓の歴史を見ていくなかでの古典的な対立軸です。まして、核廃棄物を部族経済の活性化のために受け入れるという計画は、隣に住むカウボーイからすれば迷惑千万な話でしょう。」

 

 こうして、教えてもらったカウボーイのもとを石山さんが訪ねたとき、返ってきた答えは意外なものでした。

 

 「小さなおうちにひっそりと暮らしていた夫妻は、「インディアンたちはとても苦労している、あの人たちが受け入れたいというなら反対はしません。」と口を揃えて言い切ったのです。彼らがなぜ隣人たちによる廃棄物施設の誘致計画に反対しなかったのか。お金を要求することもしなかったのか。それはやはり、周縁化されてきた場所で、異なる立場であっても共に暮らしてきた経験、そして土地に根ざした生活をしてきた人々の労りであり連帯であったのだと思います。私は、部族長にも隣のカウボーイ夫妻と話したことを伝えました。すると、”They are good people.”と朗らかに笑っていらしたのを思い出します。

 

 現場にいくと、人々の営みや考えがいかに複雑でたくさんの矛盾を孕んでいるのかを思い知らされました。そうした人々のささやかな営みを破壊してきたのが、放射性廃棄物を生産し続ける核兵器の開発であり、巨大な原子力産業であり、それを牽引し支えてきたアメリカという軍事経済大国であることを忘れてはいけないと思うのです。

 

 敗戦後の日本は、アメリカの軍事戦略に追従し、アジアに向けて、日本列島の南端沖縄を巨大な軍事基地に再編成し、原子力産業を辺境の地に押し付けてきました。そして侵略の歴史の中で、アイヌ民族が直面してきた問題は、アメリカ先住民族の歴史と現在にも通底するものであると思います。移民の国アメリカで滅んだ民族と見なされ、見えなくされてきた先住民族の確かな生き様、彼らをとりまく様々な物語、ときには矛盾に満ちた物語を聞き、学ぶ作業には確かに葛藤も伴いましたが、同時に私自身が生きる力をいただいてきました。今回の受賞を励みに、こうした仕事を続けて参りたく思います。」

 なごやかな空気のなか進められた授賞式ですが、それぞれの授賞作と河合隼雄の遺業との連関を再認識させるとともに、私たちを取り巻く世界の行く末について深く考えさせられる内容となりました。

 寺地はるなさん、石山徳子さん、第九回河合隼雄物語賞・学芸賞の授賞、誠におめでとうございます。