今宵の京都では、小雨の降るなか、夏の風物詩の一つ、五山の送り火が行われました。

京都では、「お精霊さん」(おしょらいさん)と言って、

8月6日〜10日頃に先祖の霊を迎えます。

 

 

 

昔の風葬の地であった千本えんま堂と六道の辻の珍皇寺が迎える場所として有名です。

 

珍皇寺には、ご先祖さまを迎える迎え鐘があって、

多くの人びとが列を作って順番を待ち、

穴の中の見えない鐘を鳴らして自分の先祖を迎え入れます。

そしてお盆の間にしばしこの世に戻ってきたご先祖たちは、

送り火とともに山々に送り返されていくのです。

 

河合隼雄の命日は7月19日ですが、

8月16日は、第二の命日、考えようによっては第一の命日とも言えるものです。

というのも河合隼雄は、19年前の2006年の8月16日に、

京都の事務所で何人かのクライエントと面接した後にパーティーに出席し、

夜遅く奈良の自宅に戻って眠りにつきましたが、

翌朝意識不明で救急搬送されました。

残念ながらその後一度も目を覚ますことなく、

約11ヶ月後に亡くなってしまいました。

まるで山に還るご先祖たちにたましいが誘われていったかのようで、

体はまだ1年近く生き続けてはいても、

たましいは既に体を離れて、

あの世への道を彷徨っていたのかもしれません。

 

今年は、この3月に亡くなった河合隼雄のすぐ上の兄の迪雄、

それに昨年11月に亡くなった谷川俊太郎さんが初盆を迎えます。

また代表理事・河合俊雄と共に『京都「癒しの道」案内』を著して、

その中で千本えんま堂と珍皇寺を取り上げた鎌田東二さんもこの5月に亡くなりました。

 

この世で暮らすわれわれにとっては、

河合隼雄が親しくしていた人がだんだんと亡くなっていくのは非常に寂しいことですが、

河合隼雄にとっては、あの世で自分のまわりがにぎやかになっていくことで、

迎え入れてはさっそくくだらない冗談を飛ばしているかもしれません。

『日本文化のゆくえ』(岩波現代文庫)の

「10. 「私の死」と現代」において河合隼雄は、

ノンフィクション作家の柳田邦男の「一人称の死」と「二人称の死」の考えを引きつつ、

死について考察しています。

 

 

兄弟の死というのは、二人称の死の典型でしょうが、

兄迪雄とともに兄弟全員が亡くなってしまって、

あの世から見た二人称の死というのは、あの世での集まりであり、対話かもしれません。

兄弟たちの冥福を祈りたいです。