2024年3月31日(日)13時半より、桐蔭横浜大学(神奈川県)にて、

当財団評議員で桐蔭横浜大学教授であった

河合幹雄さん(享年63歳)のお別れ会が行われました。

 

この日は少し前の肌寒さとは打って変わり、

まるで初夏のような温かな日で、

桜の花の開花が一気に進む陽気のなか、

会場にはおよそ300人が参列し、

幹雄さんのその法社会学・犯罪社会学者としての多彩な業績とともに、

大学、学生たちのためのみならず、社会の陰に生きる人々のために尽くした、

その人間性を振り返る時間となりました。

 

受付が始まり着席するまでの間、

祭壇というよりも大講義室の教壇でほほ笑む幹雄さんの写真を目の前にすると、

まるで今にも講義が始まりそうです。

写真の上のスクリーンには、

幹雄さんゆかりの方々からのメッセージがつぎつぎに映し出されました。

友人、同僚、研究仲間、さまざまな活動を一緒に行ってきた仲間、教え子・・・

それぞれの想い出とともに、

まだまだ一緒にやりたかったこととともに残された無念さや悲しみも胸に迫ってきます。

まず、幹雄さんの兄である河合俊雄代表理事による開会の言葉です。

本日参列された方々、メッセージを寄せてくださった方々からの思い出をうかがい、

弟の幹雄が、このような方々とつながってきたことを改めて実感し、

そのようなつながりを皆さんと感じながら、ともに偲ぶことができたら、

と、その思いを語りました。

 

そして、会場一同での黙祷。

 

司会進行の田中康裕財団理事による略歴紹介では、

“在りし日の河合幹雄先生”として、

NHKクローズアップ現代+(2018年5月28日放送)

「“貧困暴力団”が新たな脅威に」(提供:NHK)

という番組の一シーンが正面のスクリーンに大きく映し出されました。

 

 

法社会学者としての独自の鋭い観点から、日本社会、

とりわけその深い闇の部分について、

真剣に、力強く論じる幹雄さんのお姿が思い出されます。

続く、これまでの幹雄さんの人生の足跡の紹介とともに流れるスライドショーでは、

子どもの頃からの家族写真、学生時代、結婚式、ご自身の築かれたご家族、

横浜桐蔭大学での精力的な活動、学会での講演の様子、

仲間たちとの語らいの笑顔などが次々に映し出されます。

こんな顔もあったのかと驚いたり、

なつかしさで心が温かくなったり、

あるいは今の不在の寂しさがこみあげてくるなど、

さまざまな思いが胸に到来しました。

 

 

次に、ゆかりの深い3名の方々から弔辞をいただきました。

 

まずは法哲学者・井上達夫先生との出会いは、

およそ30年前の研究会で、

幹雄さんの京都大学の恩師・棚瀬孝雄先生から

「面白い弟子がいるんだよ」と幹雄さんを紹介。

その時の印象(学者というよりマタギのような)や

ユニークな経歴から誕生した異色な法社会学者・幹雄さんについて、

懐かしく振り返られていきます。法社会学研究の中でも、

多くの研修者の関心と異なり、幹雄さんは刑事分野に注目し、

量刑の問題、刑事政策、犯罪社会学に

深く切り込んでいった異色の存在だったことなど、

学者としての幹雄さんの姿がありありと伝わってきました。

 

やがて井上先生と幹雄さんとで、

司法改革を体制改革に接合する意気込みをもって

共同研究を立ち上げることになった経緯を、

当時の激動の社会的背景の興味深いお話とともに、

その思いを熱く語られました。

 

その成果は、共同編集した書籍

『体制改革としての司法改革: 日本型意思決定システムの構造転換と司法の役割』

井上達夫・河合幹雄編 (信山社 2001年)となっています。

 

そして昨今の、

反社会集団の社会復帰をめぐる社会問題に取り組む上で、

幹雄さんに連絡をとろうと思っていた矢先の訃報だったことなど、

尽きることない思い出とともに弔辞を締められました。

 

次に、桐蔭横浜大学学長 森朋子先生から弔辞をいただきました。

 

1988年に理工系学部をベースに誕生した桐蔭横浜大学が、

格差や不公平の社会問題にとりくむ人文学系の法学部を創設するにあたり、

法と社会の関係を研究している河合幹雄さんは創学部当初より着任。

以来30年余り、研究のほかに、法学部長、副学長、評議員を歴任

目の前の学生、学園のために邁進されてきたことへの、

学園のみならず、森先生個人としても深い感謝の想いを語られました。

桐蔭横浜大学とともに歩んだ幹雄さんの大学人、

教育者としての姿がありありと思い浮かびます。

 

この森学長の言葉だけでなく、会場にいる多くの卒業生、在校生、

この日もたくさん参列している野球部の部員たちの姿からも、

伝わってくるものでした。

 

最後に桐蔭横浜大学法学部法律学科教授 韓寧先生から弔辞をいただきました。

韓先生と幹雄さんとは、ともに中国の大学との国際交流、留学生の受け入れに尽力。

幹雄さんの柔軟な考え方のおかげで、

中国の大学との多彩な国際交流が実現、

展開してきたことが紹介され、日中友好の懸け橋として、

文化交流に大きく貢献された原動力になってきたエピソードをお話いただきました。

 

また、海外での研究会で、

幹雄さんが「日本の死刑制度」について英語で報告・登壇した際、

多くの登壇者は自分の発表を終えると退室してしまう中、

最初から最後まで在席し、すべての報告をもれなく全部を聴いており、

日本の学者の厳格な学問精神、真面目な態度、

謙虚さを世界各国の学者に体現した方だったと、

その人柄と姿勢について紹介されました。

最後に、河合先生の仕事ぶり、

優しさを忘れずに日々の仕事に励んでいきたいとの言葉で、

弔辞を締められました。

 

その後、南京師範大学法学院様、

四川外国語大学日本語学院院長 黄芳様、

法務省矯正局長 花村博文様 からの弔電が読み上げられ、

そのほか多数の弔電についても紹介されました。

 

そして最後は、弟の河合成雄さん(当財団評議員)からの閉会の言葉です。

 

語るのが好きだった幹雄本人がきっとここでも皆さんにしゃべりたかったのではないか、

そして、幹雄の異色の思想は、家族、三兄弟の語らいの中から生まれたのではないか。

幹雄とは、日本の社会、学校の中、

いろいろなところでいろんな違和感と戦いながら共有し、深く考え、

こだわってきた、戦友であり、ライバルであったこと。

そのような社会への違和感を持ちながら格闘してきた河合幹雄が、

それなりに法社会学という学問にフィットして、

この世に受け入れられてきたこと。

 

そして、2年前の正月に兄弟との語らいの中で、

日本の犯罪、宗教、思想について、

輪廻の観点から書いてみたいと話していて、

兄・俊雄とともに期待していたのに、

このようなことになり本当に残念であり、

まだまだ娑婆(シャバ)世界を見通し、

自分の視点でものを言いたかったのだろう本人の無念を思い、

そして皆の名残惜しい思いとともに、

弔辞やメッセージを寄せてくださった多くの皆さまへの心よりの感謝を述べて、

会は閉じられました。

 

 

その後、檀上では献花の列

――親族、河合隼雄財団、大学、学会各関係の方々、

友人、卒業生、在校生、野球部員の皆さん――

はいつまでも途切れませんでした。

 

この度は、桐蔭横浜大学の教職員の皆さま、

在校生の学生さんたちの多大なるご協力を得ましたこと、

また、当日参列された方、

心を寄せてくださったすべての皆さまに、

心より御礼申し上げます。ありがとうございました。

 

*本年2024年11月3日(祝日)大阪にて、

第12回河合隼雄物語賞・学芸賞記念講演会・河合幹雄追悼シンポジウムとして、

大澤真幸さん、山極壽一さんをシンポジストとしてお迎えして行われる予定です。

詳細が決まりましたら、当財団ホームページでご案内いたします。