2020年7月10日(金)梅雨の時期ではありますが、

やはり、雨男の河合隼雄が見守っているのかなと感ぜずにはいられないお天気の中、

第八回河合隼雄物語賞・学芸賞の授賞式が行われました。

 

 

コロナ禍にある中、感染拡大予防の観点から、

開催会場のガイドラインに沿った対応を厳守し、

今回は授賞作品に関わる関係者のみでの開催となりました。

 

代表理事からは、

 

「今回は、物語賞が該当作品なし、という結果になりました。

いつも思うのですが、物語賞の選考は難しいです。

なぜ、河合隼雄文学賞ではなく、物語賞なのか。

河合隼雄の考えていた『物語性』。

心理療法の中で、彼が大切に思っていた物語の「癒す力」。

それが文学の中でどういう風に発揮されるのか。

河合隼雄が得意としたのは、

むしろ、ファンタジーや児童文学の方であって、

意外と小説は読んでいませんでした。

彼が書いていた「中年クライシス(朝日文芸文庫)」は、

12の文学作品に、河合隼雄が中年クライシスをテーマにコメントをしているものですが、

内容は面白いのですが、

それを読んでも、あまり、小説は好きではなかったのかな、

というのがわかる感じがしてしまいます。

今後、物語賞はどうなっていくのか、

ということも考えさせられる機会になりました。

そう意味でいくと、

学芸賞授賞された小川さやかさんの作品は、

とても物語性が高い作品で、

乱暴な言い方ですが、

これを物語賞にしては、という意見もありました。

 

また、アジア・アフリカ地域研究研究科は、

今は、私の所属のこころの未来研究センターと同じ建物内にあり、

ご近所から授賞者が出たことも、嬉しいことだな、と思っております。」

 

と開会の挨拶を頂きました。

 

※選考会記者会見では、物語賞の選考委員からのコメントも頂きました。

詳しくは、webマガジン「考える人」に掲載しております。

 

学芸賞授賞作品は、

小川さやかさんの

『チョンキンマンションのボスは知っているーアングラ経済の人類学』(春秋社) 

でした。

 

鷲田清一学芸賞選考委員から、              

正賞の日の丸盆と副賞の授与の後、

選考委員を代表して、選評を頂きました。

 

 

この作品は、タンザニア人が、中国の製品(中古品など)

なかなかの物をかき集めて、母国に輸出して稼ぐ、

そのネットワークを取材されたものです。

本当にボスが目の前にいるように、生き生きと書かれていました。

 

そこに関わる色々な人は、

すごく不安定な「生存」の中にあり、

相互扶助のセーフティーネットを作って、

生き延びていく、生き続けていく。

ただ、そのネットワークが読んでいてビックリするくらい面白くて、

絶妙のバランスでできているネットワークなんです。

 

かつての、釜ヶ崎のネットワークを思い出すんですけど、

みんな色々と事情を抱えているので、絶対に詮索をしない。

お互いの身元とか。

ルールをつくらない、というルールがある。

昔、クラストルなんかが描写していた、

「出入り自由の社会」にしておく、とか、

ひとつひとつが本当に納得するんですけど、

 

できる限り、無理はしないで、

できることを、できることろで、できるときにやる。

 

だから、切るときはクールに切りもする。

それはお互いが負い目というところでつながっている集団とは、

違う集団を目指していたからではないか、と思うんですね。

 

一人が語っていた面白い言葉があって、

「私があなたを助けると、いつか誰かが、私を助けてくれる。」

ミニマムの信頼だけでつながっている、

面白い集団・社会・ネットワークなんですね。

それを彼女は、(ここが私は大好きなのですが)

「ついで」のロジック(論理)と言っている。

具体的には、彼女も片棒を担いだことあるんですが、

仲間が中国本土に行くときは、スーツケースの隙間に、

届け物(商品)を入れて、

「ついで」に持って来てくれ

あるいは、誰かがタンザニアに帰るときには、

自分の家族のお土産や商品を

「ついで」に持って行ってくれ

出来るところで支え合う、すごい習慣があるんですね。

 

もう一つ、つっこんで言うと、

グローバルは資本主義社会のシステムの隙間をうまく縫って、

利益をかすめ取るといういう、したたかな知恵もある。

 

僕らの社会でいうと、スケートボーダーみたいなものかな、と思う。

スケボーって、公共の都市の設備(手すり、階段、ベンチなど)を

ハックして、全然違う自分用の遊びに使う。

そんな感じがしました。

彼女は「下からの」という言葉を使われますが、

下からの経済とか、下からの政治とか、

僕らの社会も、未来のあるべき形として遠望するような、

そういう、思想的なバックグラウンドもあって、

本当に読み応えがありました。

 

最後に、妄想が起こってしまって、

絶対に小川さんは拒否される妄想なんですが、

今日は立命館の関係者の方もいらっしゃいますし、

これは言っておかないと、と思いまして、、、、。

 

ボスは、ものすごい太っ腹で、

清濁併せ呑んで、いつも軽口叩いて、、、

でも、本当にここぞという時は、

逃げないし、何とかしてくれる。

そのボスに、彼女、そっくりなんです。体型も含めて。

(小川さん「えー!!?」と驚き、舞台から落ちそうになる。)

 

こんな大事な学芸賞の場で、

こんな言葉でコメントしたら失礼かと思ったのですが、

「裸一貫」。

裸一貫で香港社会に潜入された。

せっかく、立命館大学にも潜入されたので、

総長になったらどうですか?

今すぐにとは言わないですが、10年後くらいに。

 

というのは、かねてから私は、

大学って、社会実験の場だと思ってきたんです。

働き方にしても、会議のしかたにしても、

お金の稼ぎ方にしても、建物、場の作り方にしても、

法律スレスレの、リスクが大きすぎて社会ではできないけれども、

いい加減な人も多いから、キャンパス内では適当に無理なく、

危ないくらいリスクもあるけど、

未来の社会にとっての大事なことを実験をする場所が大学だと思っているので、

そういう、いろんなアイデアとか、

適当な人のてきとうな活動を下からすくいあげて、

おだててやらせておいて、ほっておく。

でも、いざという時は、自分がなんとかしてやる。

そいういう総長っていいな、と思ったのです。

 

本当に急がないので、やるときは、山極さんと私を説得して、

二人で推薦人に、(いいですよね?山極さん、と声をかける。)

入らせていただこうと思いますので、

それまではしっかり、研究の方をやってもらって、

10年後、生きていたら、応援団に入りますので。

本当におめでとうございました。

 

以上、鷲田選考員からの選評のことばでした。

続いて、小川さやかさんから、受賞のことばをいただきました。

 

このたびはこのような素晴らしい賞に推挙いただいて、

審査員の皆様方、財団の皆様方ありがとうございました。

また立命館大学の同僚の方、編集者の篠田さん、

様々な方に支えていただき本賞をいただきましたので

改めまして、ここで御礼を申し上げます。

 

さっきすごい話になってしまったので

いろいろ考えていたのですが、ポンと飛んでしまって(笑)。

 

よく、受賞した後に、どうしてこういう世界に興味を持ったのか、

といろんな方に聞かれるようになったんですけれども、

実は結構、文化人類学の調査は、とりわけ私のような人間はですね、

かなり行き当たりばったりに生きてまして、

でも私、行き当たりばったりの遭遇や出会いをすごく大事にしています。

 

というのも最初に出した、

『都市を生きぬくための狡知』世界思想社さんから出させて頂いた本も、 

はじめは清掃業部門の徒弟制度とかについて調べる予定だったんですが、

現地に行ったら路上商人の方が華やかだし 、

こっちの方が胡散くさそうだし、楽しそうだな、

みたいな理由でスタッとやめてしまいまして。

 

今回のチョンキンマンションの方もですね、

私もともと中古品とか古着の研究をしていて、

使い捨て文化っていうのは、実は結構、

深淵な世界のもとに成り立っているということが面白くて、

一時期研究していて、

その後、古着や中古品の競合相手がコピー商品で、

これはコピー商品を調べるのが面白いんじゃないかと思って、

中国に行ったんです。

はじめはコピー商品とか模造品の研究をしようと思ってまして、

しばらく前からインターネット時代の海賊行為みたいなものの調査というか、

研究というか、それにはまってまして、

何か、コピー、模倣、盗用とか、かすめ取り、とか

物の側から人類学的を研究したら面白いんじゃないかと思ってたんですが、

でも香港に行ってみたら、唐松さんと出会ってしまったんですね。

唐松さんは、中古自動車が主な取引商品で、

あれ?コピーじゃないじゃん!と思ったんですけど、

唐松さんが魅力的だったので、

この人についていこうかなと思ってついて行ったら、

ICT時代の海賊行為に調べている中で読んだ、

シェアリングエコノミーとかそういった話が出てきて、

あ、もうこっちで行こうって言うふうに突然変更するみたいな形で、

その時々の出会いとか出来事とかに応じて変えていくって言うスタイルで

研究をしています。

 

大学院時代の、都市人類学の先駆者の日野舜也先生に、

「勉強する必要があるんだけど

現地に行ったら勉強したことを賢く忘れて

まっすぐな心で世界を見るんだ」と教えられたな、

と言う事をフィールドワークの中でいつも考えてまして、

全く勉強しないでいくと

何が学術的に面白いのかがわからないので

重要な糸口を見逃してしまうことがあるかもしれない。

しかし、何か勉強していくと、

勉強したフィルターを通してしか世界を見るしかできない。

それはそれで面白くない。

だから、

向こうに行ったらどう忘れるか、ということを考えています。

 

結構、私、はまり症で、これが面白い!と思う

文献とか研究とかにすぐはまってしまうんですけども、

向こうに行くとスカッと忘れてしまう、、、。

何を言っているんだ、、、。

 

そんなような感じの研究をしているんですが、

セッションのテーマの中には

信頼とかシェアとか、開かれた習性とか

先程、鷲田先生にもおっしゃっていただいた、

「ついで」から出来上がるセイフティーネットとか

いろんなことが書かれているんですけれども

私が結構、ある種ずっと考えていていた、

なぜ唐松さんとかに惹かれたのか、というのを考えると

 

偶然性とか、ままならないこととか、不確実性とかを

うまくポジティブに取り込むことで

ある種の自由さみたいなのを担保しているんじゃないか、

って言うふうに思ってまして、

偶然だから許せることもあるし

ままならないと言うことがわかっていれば

それはそれとしてポジティブに生きることもできるしって言う、

なんかままならないこととか偶然性みたいなことを

そもそも取り込んでいる自由さ、というところが

すごく惹かれたところです。

 

河合隼雄先生の賞をいただいたので妄想膨らませますと、

私、実は、この人間関係とか社会関係とか経済の営みとか

人生におけるままならないこと、不確実なこと、

偶然みたいなことを、

いかに遊びに変えるか、みたいなことも

結構昔から考えていまして、

小さい頃は結構本が好きだったんですけれども、

より好きな事は、小説を途中まで読んで、あえてそこで止めるんです。

半ばまで読んだ後止めて、その後、続きを自分なりに妄想するんですね。

でも、すでに半分ぐらい読んでるんで

登場人物が勝手に頭の中で動き始めるんです。

物語が勝手に頭の中で進んでしまって

自分で想像している物語に号泣したりとか

ゲラゲラ笑ったりできる、

授業中に突然泣き始めるとか。

すごい奇妙な学生でした。

でもそういうことをすごく何度も何度もすると、

そうやって物語の続きは

こうなんじゃないか、ああなんじゃかなじゃないかって言うことを

充分堪能した後に、もう一度小説の途中から読み直すと、

私が想像したのとはまた全然違う展開がそこに待っている。

 

それはまた私にとっては新しい遭遇というか、

物語がこうである、世界がこうである、

そういうことに必然性みたいな事はないんじゃないか、

偶然があるからこそいろんなところに

遊びとか自由さが生まれることが

あるんじゃないかということを思ってまして、

だから道徳の授業とかで、こう読まねばならぬとか

すごく嫌で、机に突っ伏してずっと寝てました。

とりあえずそういうことを繰り返していきますので

なんとなく出会いとか偶然とかそういったものを

生かした面白い仕組みとかシステムみたいなものについて考えています。

話が分かんなくなってきましたけど。。

今は、コロナの状況下で、フィールドワークにも行けませんので

私は妄想を楽しむ時間にしたいと思っています。

総長なんていうのは私にはあれでございますが、

でもこの間、松原副総長と楽しい会話をした後に寝たらですね、

ちょうどペイ・フォワードって言うカルマキッチン、

恩送りのレストランというのがあって、

自分が食べる分は自分で払わない、

既に誰か払ってくれている、

私は、次に来る人たちに向けていくら払いたいかを、

そこに置いていく。

ペイ・フォワードのレストランなんです。

 

それと学費が急に結びついてですね。

私の夢の中では、

大学はすべてペイ・フォワードになっていまして、

卒業後良い人生の人は、バカスカ払ってくれて

だめだだったら払わなくて良いみたいな、

そういう世界になってました。

 

と、言うのはただの妄想でございまして

今後とも頑張って研究していきたいと思います。

このたびはありがとうございました。

 

以上、小川さんの授賞の言葉でした。

 

 

今回も、音楽を愛した河合隼雄を偲んで、

林  七奈さま、田村安祐美さまをお招きして、

ミニコンサートを開催いたしました。

 

モーツアルト作曲:フィガロの結婚より「恋とはどんなものかしら」、

ルクレール作曲:「2つのヴァイオリンの為のソナタより第2番」、

アイルランド民謡:「ロンドンデリーの歌」

を演奏いただきました。

 

二つのヴァイオリンから奏でられる、

豊かで華やかな音が会場に優しく広がりました。

 

河合隼雄が発案した事業一つに、

「室内管弦楽にもっと演奏の場を」というものがあり、

京都芸術センターで開催されていた室内楽シリーズに、

林様が当時、ご参加されていたそうです。

今回も、ご縁がつながり、素晴らしい演奏をご披露頂く

ことができました。

誠にありがとうございました。

 

最後に、物語賞の後藤選考員から小川さやかさんに祝辞がありました。

 

小川さんどうもおめでとうございます。

今日発売の文芸春秋はお読みになりましたか?

もう発売されて公になっているから発表してもいいと

思うんですけど、小川さん、今年度の大宅壮一賞も受賞されました。

こんなに朗らかで、明るい方なので、

ボスもあなたのそんなところがお好きになったんだと思います。

今日は納得いたしました。

どうもおめでとうございました。

 

小川さやかさん、第八回河合隼雄学芸賞授賞、誠におめでとうございました。