岩波現代文庫より、〈物語と日本人の心〉コレクションⅡ

河合隼雄(著)河合俊雄(編)『物語を生きる 今は昔、昔は今』が刊行されました。

物語を生きる

 

河合隼雄の思想の根幹である「物語」から日本人のこころを読み解いたこのコレクションの第2冊目です。

『竹取物語』『宇津保物語』『落窪物語』『浜松中納言物語』『平中物語』『源氏物語』など、

日本の王朝物語を題材として、こころとは何か、日本人のもつ意識とは何か、ということを考えていきます。

 

解説は、河合隼雄と物語についての対談を行った、作家の小川洋子さん。

河合隼雄物語賞の選考委員でもある小川さんの解説は、まるで研究者のようだという印象を与えます。

作家、書き手の方がもっともすぐれた物語の研究者、と言えるのかもしれません。(いやきっと、小川さんがすごいのですね・・・。)

 

さてこの本の第3章では「殺人なき争い」として『宇津保物語』などの分析が行われます。

ここでは、この物語に登場する「政争」劇では、権力争いの大事なポイントにおいても

直接の対話や戦いが起こらないこと、そして本当の会話は間接的になされていることに注目されます。

 

人間の本質のひとつとしての攻撃性が直接表現されないこと、

本当に思っていることが言葉にされず、無言によって意思表示をするなどのあり方は、

単に意気地がないとか、ディスコミュニケーションということではなく、美意識をもとになされていることだと河合隼雄は指摘します。

 

このような戦いの回避のテーマの真骨頂として、『落窪物語』の結末から「自然による解決」がとりあげられます。

継母にいじめられ、物置小屋に閉じ込められた落窪の君をねらって、老人がやってきます。

なんとか小屋に入られないよう粘る落窪の君の周りをうろうろしながら狙う老人。

しかし、そうしているうちにじいさんの腹が冷えてきて・・・「ひちひち」・・・

なんと、おなかを壊して下着を洗っているうちに夜が明けましたとさ、というオチなのですね!

このお話、河合隼雄が大好きな話のようで、しばしば取り上げられています。(河合隼雄の笑いの沸点の低さは有名です!)

確かにこんな結末、西洋のお話では考えられないですよね。

 

このような分析は、単に文学的なものとか、心理学的なもの、というだけではなく(正統的な文学の研究者の方からすれば邪道かもしれません)

ネット上にあふれる他者への不満や、攻撃的なコメント、

少し空気が読めなかっただけで問題視される現代の問題についても考えさせてくれるものです。

日本人の美意識は、私たちの中にどのように残っているのだろう。

どこにもいきようのない不満や攻撃のエネルギーを、われわれはどんなふうに昇華させていくことができるのだろう。

1000年も昔の王朝物語の中にそのヒントは隠されているかもしれません。

 

この本に収められた各論は、河合隼雄が非常に豪華な顔ぶれと一緒に連続して行っていた

「創造の世界」という雑誌での連載対談が元になっているものが主体となっているため

河合隼雄の考えがさらに深められた後に構成されたもので、たいへん読み応えがあるものです。

暑い夏、涼しい部屋で本を読みながら現代の日本人のこころについて考えてみる時間も大切かもしれないですね。